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ヨーロッパサッカー回廊『W杯ヨーロッパプレーオフ:VARの採用可否』

17・11・19
 ヨーロッパからロシアW杯の残り4か国を巡ってのプレーオフが現在行われておりこの11月14日には全て確定する。

 11月9日から始まったホームアンドアウエーの12日までで残りの試合は、初戦ホームで強豪イタリアに1−0と勝利したスウェーデンがロシア行きを決めるのか、イタリアが巻き返し出来るのかの決戦。もうひとつデンマーク対アイルランド戦の初戦は0−0に引分けに終わっておりアイルランドのホーム、ダブリンでの試合でどちらが勝つかの2試合だけとなっていた。

 この段階でロシア行きの切符をつかんでいたのはクロアチアとスイス。クロアチアは、第1戦ホームで4−1とギリシャに圧勝。アウエーのアテネでの試合は安全第一の戦いを行い0−0の引き分けとし、クロアチアがロシア行を決めた。

 そして、スイスと北アイルランドの試合。ユーロ2016でベスト16まで勝ち進んだ北アイルランドが、英国からイングランドに続きロシア行きを期待されていた。第1戦はホーム、ベルファーストでの試合。センターバック、コリー・エバンスのハンドの判定でPKを取られ1−0と敗退。アウエーではスイスのディフェンスの堅さに得点を挙げることなく0−0の引分けに終わり、1986年以来の4回目のW杯出場の夢はついえた。

 しかしこの試合のPKの判定に関して主審の判断が適切であったのか問題提起がなされている。北アイルランド監督のオニールは「コリーのハンドは完全に手ではない。肩に当たったボールである。PKではない。ビデオを見れば明らかである」と抗議のコメントをしたが受け付けられなかった。

 まさに、次回ロシアW杯からビデオアシスタントレフリー(VAR=Video Assistant Referee)を採用したいとするFIFAの意向からすれば、当然このプレーオフに採用すべきシステムではなかったのではなかろうか。

 現在、ヨーロッパの各国リーグで実験的にVARを試しており、ちょうどこのプレーオフ時期にイングランドはドイツのフレンドリーマッチをロンドンのウエンブレーで行い、VARシステムの実験が行われた。この試合ではVARシステムを使うほど微妙な判定はなく、試合は0−0で終わってしまった。

 同じ時期、日本もブラジルとフレンドリーマッチ戦をフランス、リールで行ったがこの試合ではVARの実験が行われた。そしてブラジルの選手に対しての吉田のチャージがVARによってPKの判定となりネイマールに決められ1点を失っている。主審は一旦流して試合は進んでいたにもかかわらずである。

 このVARシステムをロシアで採用するかは、来年の春W杯の前にIFAB(国際サッカー評議会=ルールを決める機関)にて実験の評価を基に総会で決められる。

 実際には、ビデオアシスタントレフリーがコントロールルームでビデオを操り主審に判定を促すものであり、ビデオレフリーと主審のコミュニケーションがうまく噛み合うのか、下手するとフットボールの醍醐味であるスピードと連綿性を阻害することになりかねない危惧がある。

 また主審は、単なるVARの判定を伝えるロボットになりかねないと懸念する向きもあり、まだまだ論議を呼びそうである。しかし過去のオフサイド判定のあいまいさ、ダイビングなのか倒されたのかといった一瞬の出来事を公正に判断できるメリットもあり、これからロシア大会まで実験を続け、結論付けることになる。

 と、この原稿を書いている最中、ショッキングニュースが飛び込んできた。ロシアW杯の予選での最大の番狂わせが起こったのだ。

 ワールドカップ4回優勝、1930年第1回ウルグアイ大会、そして1958年スウェーデン大会の2回しか欠場していないイタリアがまさかの敗退を喫したのである。くしくも出場出来なかったスウェーデン大会の因縁かその相手はスウェーデンであった。

 1−0とスウェーデンでの初戦に敗退し、ホームのサンシーロスタジアムでは逆転勝ちを期待していたにもかかわらず、ボール支配率76%、シュート27本の圧倒的な攻撃を見せたが、スウェーデンの6人で守る堅い守備の前に得点とならず0−0と引分け、スウェーデンに屈したのである。

 イタリア代表監督は無名のセリエAトリノFCの監督であったベンチューラ69歳。やはり世界で戦う指揮官ではなかった。予選グループではスペインに完敗して2位となり、プレーオフに回ったがスペイン戦で4−2−4という一昔前のシステムを採用し、選手からその戦術について疑問が出る程でイタリア協会の任命責任は大きい。ミスキャストである。キャプテンGKのブッフォンも20年代表キャップ175試合目のこの日引退を余儀なくされた。

 この結果、ロシアワールドカップはイタリア抜きの画龍点睛を欠く大会になってしまった。寂しい限りである―。


◆筆者プロフィル◆
伊藤庸夫(いとうつねお)
東京都生まれ
浦和高校、京都大学、三菱重工(日本リーグ)でプレー、1980年より英国在住
1980−89:日本サッカー協会国際委員(英国在住)
  89−04:日本サッカー協会欧州代表
  94−96:サンフレッチェ広島強化国際部長
2004−06:びわこ成蹊スポーツ大学教授
  08    :JFL評議委員会議長(SAGAWA SHIGA FC GM)
伊藤 庸夫